一人の人間が生まれると、自身が主役の集まりは一生に三度あると言われます。
生まれた時、結婚式、そしてお葬式。


その中でもお葬式は本人ではなく、遺された人のためにあるように私は思います。
私はこれまで何度か参列することがありましたが、直近では父の葬儀。
記憶に新しいものです。



突然の死だったので、私たちは父の死を受け入れるのに時間を要していました。

そんなとき、葬儀屋さんがテキパキと準備を進めてくれました。
人が一人亡くなると、その後は大変忙しく、その慌ただしさが悲しみを忘れさせてくれるものとなります。地域によって、風習が異なりますが、飾り物を選んだり、会場を選んだり、本当に忙しかったです。


近年終活と称して、高齢者が自身の希望を家族に伝えていたりするようですが、父の場合は希望もなにもありません。



ただ、私たちはとにかく盛大に送り出してあげたかったので、恥の無いよう、立派なお葬式をあげました。ただ今思えば、死者にとってはどんな式が執り行われようと知ったことではなく、遺族の気持ちを整理するために執り行われているのでは、と思います。


四十九日から始まり、今年我が家では七回忌が執り行われます。


不思議なもので、節目節目で見事に気持ちの整理がついてゆくのです。

親交の浅い方が亡くなった、しかし葬儀には参列しなければいけない。



そんな時、時間を気にしながら形だけ参列してはいないでしょうか。


それは、死者に対してはもとより、遺族に対して大変失礼です。
遺族の方々の色々な想いが込められたお葬式。


亡くなられた方に対してはもちろん、遺族との今後の関係もイメージしながら参列すると、お葬式はより意味を持ったものになるでしょう。